日本の戦争と金融の関係を問う際には、横浜正金銀行の存在が必ず浮かび上がる。正金銀行は1880(明治13)年2月に開業し、1887年7月に「横浜正金銀行条例」の公布で特殊銀行となった。
日本は彼の指摘を、戦争のたびに忠実に実行してきた。西南戦争でその萌芽は現れ、日露戦争では米英の投資銀行を味方に付けたことで、満洲や日本海での勝利を引き寄せた。こうして国力に比して規模の大きな戦争を戦い抜いてきた。
戦前の日本には、現在では存在しない性質の銀行があった。植民地経営のために設けられた現地の中央銀行や、外国為替を専門とする銀行などだ。こうした銀行は深く国策と結び付いており、太平洋戦争以前から戦争と無縁ではなかった。国際舞台に目を向ければ、国際金融機関の草分けもまた戦争から生まれた。
笠間貴之/かさま・たかゆき 1973年生まれ。1996年日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)入行。2000年ゴールドマン・サックス証券入社。2011年マネージング・ディレクター、クレジット・トレーディング部長就任。2015年ゆうちょ銀行市場部門執行役 ...
藤原作弥さんが副総裁に就任した1998年、日銀は厳しい批判にさらされていた。金融界による過剰接待を背景に、幹部職員が逮捕される事態に陥っていたのだ。松下康雄総裁は引責辞任、その後任の速水優氏を支えて信用回復を託されたのが藤原さんだった。
アポロ・グローバル・マネジメント や ブラックストーン 、 KKR ...
超低金利時代の終焉(しゅうえん)に加え、企業の合併・買収(M&A)や人工知能(AI)ブームによる資金調達需要の高まりで、日本企業の外貨建て債券の発行総額は過去最高に達する勢いだ。世界の信用市場に新たな潮流を生み出している。
今週から1990年代の金融危機を順次振り返る。平成バブルの崩壊が始まった90年5月、後の危機対応で中核的役割を担う部局が日本銀行に誕生した。プルーデンス(信用保持)政策を担う信用機構局(現在の金融機構局)である。初代の主力課長には、後に総裁となる白川 ...