戦時下の 国民学校 での子どもたちの様子が克明に記された「学校日誌」が、国内と台湾で約110校分残っていたことがわかった。児童の出欠や天気とともに「児童五名爆死」「 特攻隊 顕彰」との記載もあり、子どもたちの命が奪われ、盛んに軍国教育が行われていた実態が浮かび上がる。