「お疲れ様でございます。この内閣は、今の暮らしや未来への不安を希望に変えるためにも、『強い経済』を作ってまいります。『責任ある積極財政』の考え方の下、戦略的に財政出動を行います。日本経済の供給構造を強化し、所得を増やし、消費マインドを改善し、事業収益 ...
1994(平成6)年6月、自民党、社会党、新党さきがけは、村山を総理大臣に選出した。自社が「野合」し、村山が自衛隊違憲論を放棄したことに国民は衝撃を受けた。最も驚いたのは村山本人で「私が首相とは誰が予想しただろうか」と後に述べている。